世界で一番Duck Hatの似合うミュージシャン
Neil Innes

Text:かぜ 

 ボンゾズの音楽面の要、ニール・イニス(ニール・イネス)。顔は地味だがこの人の音楽は単なるパロディにとどまらない。


■1944年12月9日生まれ。サウス・ロンドン育ち。両親ともに音楽に親しむ家庭環境で、7歳の時からピアノを習う。オーソドックスな音楽教育を受けたにも関わらずヴィヴィアン・スタンシャルやロジャー・スピアのような奇人変人(誉めているつもりです)とバンドを組み、やがてはコメディ番組で女装を披露するようになるとは(エリック・アイドルと組んだ"Rutland Weekend Television"で女性シャンソン歌手を演じていたのが印象的)、ご両親はどう思っているのでしょう…。

■学校:イニスはピアノよりも絵画に興味を持つようになり、16歳の時にアート・スクールに入学。2年後、ロンドンの「ゴールド・スミス・カレッジ」に移る。この学校時代にフラットが同室だったのがボンゾズの初期メンバーのヴァーノン・ダドリー・ボヘイ・ノウェル(この人の名前は長すぎる!)。イニスのビジュアルな方面のセンスは後の"Innes Book of Records"というテレビ番組の方で発揮されているように思う。テリー・ギリアムのアニメとはまた違うけれど絵画の引用なんかあって面白い。夫人のイヴォンヌさんとはこの学校で知り合う。

■家族:妻--アート・スクール時代に知り合ったイヴォンヌ。イニスの曲で"Song for Yvonne"ってのがありますね。子供--マイルス、ルーク、バーナービーの息子3人。マイルスは、モーガン・フィッシャーズがプロデュースの企画CD「ミニチュアーズ」のイニスの曲でドラムを披露している。


ボンゾズ時代(1960年代)

1962年頃。アート・スクールに通っていたイニスは、別のアート・スクールの学生だったロドニー・スレイターらの呼びかけで結成された"The Bonzo Dog Dada Band"に参加。ロンドンのパブを中心に活動したのち、1966年にパーロフォン・レーベルよりシングル"My Brothers Makes The Noises For The Talkies"でプロ・デビュー。ボンゾズはこのデビュー時に"The Bonzo Dog Doo/Dah Band"と名前を変えている。さらに1968年のセカンドアルバム発表の頃にはシンプルに"The Bonzo Dog Band"とする。

1967年。ビートルズのテレビ映画"Magical Mystery Tour"にボンゾズとして出演。ストリップ小屋の箱バンという設定で"Death Cab for Cutie"を披露。ボンゾズの残した映像の中で一番有名なものだろうが、イニスはあんまり目立ちませんね(ボンゾズ全体はインパクトあるのですが)。

1968・69年。イギリス民放局の子供向けテレビ番組"Do Not Adjust Your Set"にボンゾズとしてレギュラー出演。後にモンティ・パイソンを結成する若手コメディアン、エリック・アイドル、テリー・ジョンズ、マイケル・ペイリン(ペリン)とアニメーターのテリー・ギリアムがコントを提供&出演。ボンゾズはビジュアルにも工夫を凝らしたステージングで毎回彼らの曲を演奏。コントの方にも少し出演したようだ。

1969年。サード・アルバム"Tadpoles"所収の"I'm the Urban Spaceman"が英チャート5位を記録。イニス作曲、ポール・マッカートニー(アポロ・C・ヴァーマウス)プロデュースのこの曲がボンゾズ唯一のヒット曲となる。


グリムズ&ラトルズ時代(1970年代)

1969年。フォース・アルバム"Keynsham"を最後にボンゾズは解散(72年に再結成して"Let's Make Up and Be Friendly"をリリースするが)。イニスはボンゾズのベーシストだったデニス・コーワン、イアン・ウォレス、ロジャー・マッキューと共に"The World"を結成。アルバム"Lucky Planet"(02年に待望のCD化)一枚を発表しただけで解散。

1972年。The Groupによるサッカーをテーマにしたコメディ・アルバム"Funny Game,Foot Ball"の音楽を担当。スケッチとコミック・ソングのアルバムで、イニスはコミック・ソングのほうを受け持った。The GroupにはT・ジョーンズ、M・ペイリンも参加していた。

1973年。初のソロ・アルバム"How Sweet To Be An Idiot"を発表。このアルバムは"Re-Cycled Vinyl Blues"というタイトルでシングル曲などを追加して1994年にCD化された。

1973〜76年Grimmsで活動。メンバーはイニスの他、ロジャー・マッゴー(マゴフ)、マイク・マクギア、アンディ・ロバーツ、ズート・マネー、オリー・ハルソール(The Rutlesのサントラに参加)ら。イニスらの曲をバックにロジャー・マッゴー(詩人)が詩を朗読するというのがこのグループの表現形式だが、歌ものも少しあり。"Grimms"、"Rockin' Duck"、"Sleepers"のアルバム三枚を残す。"Sleepers"は未CD化。

1975・76年。BBC2のコメディ番組"Rutland Weekend Television"をE・アイドルとともに作・出演。イングランドで一番貧乏なテレビ局の一日の放送という設定で、そこで放送されるドラマ、ショー番組などで笑いと共にイニスの曲をフューチャー。サントラ"Rutland Weekend Songbook"(95年に日本でのみCD化)もリリース。"Say Sorry Again"のクリップではイニスがグルーチョ、チコ、ハーポのマルクス兄弟3人を演じていて、もちろんマルクスは映画のコメディアンですが、ヴォードヴィリアンでもあるなぁ。この番組のビートルズのパロディ・クリップ用にThe Rutlesの"I Must Be in Love"を作曲。ビートルズそっくりの音とクリップ映像で注目された。

1977年。二枚目のソロ・アルバム"Taking Off"を発表。ビートルズっぽい曲が多いというか、イニスのアルバムの中では正統派ロック・アルバム。これも未CD化。そんなのばっかり。

1978年。米NBCテレビでE・アイドルの脚本・演出によるRutlesのテレビ特番"The Rutles:All You Need is Cash"。ビートルズそっくりの架空のバンドRutlesの軌跡を追う偽ドキュメンタリー。イニスはビートルズそっくりのRutleソングの提供の他、ジョン・レノンもどきのロン・ナスティという役で出演。イニスが手がけたこの番組のサントラ"The Rutles"も世界的なヒットとなる(グラミー賞のベスト・コメディ・アルバム部門にノミネートされた)。

■70年代のその他の仕事:映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975年、音楽・出演)。 E・アイドルがゲスト・ホストを務めた米テレビ番組"Saturday Night Live"に音楽ゲストとして出演し、"Cheese & Onions"、"Shangri-La"を演奏(1977年)。このときの"Cheese & Onions"はビートルズの海賊版アルバムに「ジョン・レノンの未発表曲」として収録されてしまった。"Shangri-La"の方は"Taking Off"所収の一曲(後年、再結成Rutlesでも再演)。


1980〜90年代

1981〜?年。イギリスBBC2のテレビ番組"Innes Book of Records"で脚本、出演、音楽を担当。"Rutland..."と同じプロデューサーによるイニスがメインの音楽クリップと映像詩(というかナンセンス映像というか…あまりドラマ的なものではない)の番組。ヴィヴィアン・スタンシャルも一回ゲスト出演している。ボンゾズ時代は見た目地味だったイニスだが、この番組では白塗りメイクに燕尾服という怪しい出で立ちでビジュアル・インパクト大。Rutland..ではマルクス兄弟だったがこっちではチャップリンの「モダンタイムス」とか「スタートレック」のパロディなんかをクリップに使ってもいた。でも、特に印象的なのはマグリットなどの絵画のイメージの引用で、この人がアートスクール出身だったことを思い出させる。この番組でフューチャーされたイニスの曲は"The Innes Book of Records"(1979年、未CD化)と"Off the Record"(1982年。日本のみでCD化)の二枚のアルバムで聴くことが出来る。ソロの一枚目と二枚目がロックというかそういうものだとすると、この二枚はもっといろんなジャンルの曲が集まってイニス・ワールドが大展開されているという感じ。うまく言えませんけど。

80年代後半。イギリスのテレビのために"Book Tower"という番組を執筆。全部で120本もあるそうで長期に渡る仕事だったのかも。出演もしたのかどうかなどはデータが手元にないです。ご存じの方がいたら教えて下さい。(「レコード・コレクターズ」1997年1月号の記事より)

1992年。再結成した"The Bonzo Dog Band"でシングル"No Matter Who You Vote"を発表。1995年には60年代のボンゾズのBBCラジオ用の録音から"The Bonzo Dog Doo-Dah Band Unpeeled "がリリースされる。

1996年。ビートルズの再結成にあわせてThe Rutlesを再結成。アルバム"Archaeology"を発表。今回はアルバム(とちょっとしたライブ)のみで、パロディ・ドキュメンタリーなどはなし。和久井光司氏いわく、「イニスはコメディがらみでしかアルバム製作の予算を貰えなくなってしまった」のだけれども、このアルバムはラトルズの名前を借りてイニスが自分のオリジナリティを発揮したとも。

1998年。イギリスのテレビ番組"Away with Word"に出演。イニスがベニスでゴンドラに乗ったりしている画像をインターネットで見ましたが、どんな内容だったのかなぁ。

1999年The Bonzo Dog Bandの未発表音源集"Anthropology"がリリースされる。

■80・90年代のその他の仕事:映画「ストップ・ザ・売春天国」The Missionary(1983年、歌、カメオ出演)。 映画「エリック・ザ・バイキング」Erik the Viking(1989年、音楽、カメオ出演)。


参考文献:「レコード・コレクターズ」1995年11月号。同1997年1月号。アルバム「オフ・ザ・レコード」のライナー・ノーツ

シングル・レコード、他人のアルバムへのゲスト参加、アムネスティのチャリティ・ライブ・アルバムなどについては省略しています。

Text:かぜ

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