Vivian Stanshall

1943−1995

2000/3/21/Ver2.0 Text:NI

Now read on...

1943-1960 GINGER GEEZER SEE-Y'AROUND

1943年3月21日(日)

第二次世界大戦の最中、ヴィヴィアン・スタンシャル(本名Vivian Anthony Stanshall)はイースト・ロンドンに生まれる。そのからすぐに母親と共にオックスフォードシャーのシリングフォードへと疎開し、二年間を過ごす。

極めて早熟で生後4ヶ月目に初めての言葉を発し、生後10ヶ月目には会話をすることができた。

1945(?)年

大戦終了後、陸軍に所属していた父親が帰ってきたので一家はイーストロンドンのウォルサムストウに戻る。父親は戦後、公認会計士になる。

その父にBBC英語で会話するように躾けられる。母親は幼い彼に編み物とレース編みを教えた。

19??年 一家はエセックスの海辺に位置するサウスエンド・オン・シーに越す。

1959(?)年

何の資格も取らずに(Oレベルも)学校を出る。 

父親が進学のための学費を出すことを拒否したので、学資を得るためにしばらくの間商船の船員として働く。その後、ウォルサムストウ美術学校に進学する。


1961-1969 Look out, there's a monster coming!

1961(?)年

18歳の時にロンドンのセントラル・スクール・オブ・アートに転校する。同じくこの学校に通うレッグス・ラリー・スミスと出会う。

セント・マーティンズに通うロドニー・スレーターがスタンシャルのアパートの同居人だった。

1962年

レッグス・ラリー・スミス、ロドニー・スレーター、ニール・イニスらと共にBonzo Dog DaDa Band を結成する。

1966年4月

Parlophoneよりボンゾズ初のシングル" My Brother Makes The Noises For The Talkies/I'm Going To Bring A Watermelon To My Girl Tonight "を発表。

7月 彼らは美術学校卒業すると同時にプロとして活動を始める。.

10月 2枚目のシングル "Alley Oop/Button Up Your Overcoat"を発表。

1967年10月

Libertyよりボンゾズ初のアルバム "Gorilla"発表。

1968年

ボンゾズ、テレビ番組"Do Not Adjust Your Set"に参加。

ビートルズのテレビ映画"Magical Mystery Tour"に参加。

11月 "The Doughnut In Granny's Greenhouse"発表。

1969年8月  "Tadpoles"発表。

11月 "Keynsham"発表。


1970-1979 "If I had all the money I'd spent on drink, I'd spend it on drink".

1970年

3月 ボンゾズ解散と同時にデニス・コーワン(Dennis Cowan)、エリック・クラプトン(Eric Clapton)

レミ・カバカ(Remi Kabaka)と共にVivian Stanshall's Sean Head Showbandを結成。Libertyよりシングル "Labio-Dental Fricative/Paper-Round"を発表するがこのシングル一枚を出したのみでこのバンドは解散する。

続いてデニス・コーワン、ロジャー・ラスキン・スピアー、イアン・ウォレス、バブス・ホワイトと共にVivian Stanshall & biG GRuntを結成。

3月16日(月) Vivian Stanshall & biG GRuntはBBC Radio 1のTop Gearの収録を行う。収録曲は"Cyborg Signal", "Blind Date","Eleven Moustachioed Daughters", "The Strain"の4曲である。

3月21日(土) 16日に収録されたものが放送される。

3月30日(月) Vivian Stanshall & biG GruntはBBCのテレビ番組 Marty Amokで"Eleven Moustachioed Daughters"を演奏する。

"Blind Date"一曲のみを残し、このバンドもごく短期間で解散。

さらにVivian Stanshall & His GargantuanChumsを結成するがこのバンドもまたエルビス・プレスリーのカバー曲"Suspicion"を一曲作ったのみですぐに解散した。 

キース・ムーンのプロデュースにより上記の2つバンドの曲が1曲ずつの入ったシングル "Blind Date( Vivian Stanshall & biG Grunt) / Suspicion(Vivian Stanshall & His Gargantuan Chums )"を発表。

この時期重い神経衰弱に陥り、精神安定剤に依存し始める。

1971年

スキャッフォルドのシングル、"Do The Albert"にキース・ムーンと共に参加

スッキャッフォルドのマイク・マクギアやジョン・ゴーマンらと共にグリムスを結成する。しかし実質的には一度も参加はしなかった。(ちなみにGrimmsの名はメンバーの頭文字からつけたものでsはスタンシャルのsである)

The Whoのベーシスト、ジョン・エントウッスル(John Entwhistle)のソロ・アルバム"Smash Your Head Against The Wall"に参加。8曲目の"No. 29 External Youth"で、ニール・イニス、キース・ムーンと共にパーカッションを担当する。(CD化されており、 Vivid soundより日本版も発売されている。)

1972年

3月 レコード会社との契約を果たすためにボンゾズが再結成される。アルバム "Let's Make Up And Be Friendly" を発表。

12月9日(土) ロンドンのRainbow Theaterで上演されたピート・タウンゼント作のロック・オペラ"Tommy"に「アーニーおじさん」役で出演。

Mike HartのアルバムBasher Chalky Pongo & Me(CD有) にリコーダーと歌で参加。

 

1973年

マイク・オールドフィールドの世界的ヒット作"Tubular Bells"にナレーターとして出演。Part1のエンディングに登場する楽器の紹介をしている。

The Pasadena Roof Orchestra ('20、'30年代のジャズを中心に演奏するグループらしい)でユーフォニウムを演奏。

キース・ムーン、リンゴ・スター出演の映画 "That'll Be the Day" (監督Claude Whatham、邦題 マイウェイ・マイラブ)にカメオ出演。この映画のサントラ盤で "Real Leather Jacket" という曲を歌う。

Pete Brownのアルバム "Not Foggotten Association" でチューバを演奏する。

1974年

4月 初のソロ・アルバム "Men Opening Umbrellas Ahead" (未 CD化)が完成。同年発表。

シングル "Lakonga/Baba Tunda" を発表。

Robert Calvert のアルバム "Captain Lockheed and the Starfighters" に参加する。スタンシャルのアイデアをもとに創られた曲"Summer Is Fading"が収録された ジム・キャパルディ(Jim Capaldi)のソロアルバム "Whale Meat Again"が発売(CD有り)。 (作詞、作曲、演奏には参加していない)

1975年

ロシアの作曲家プロコフィエフ作のナレーションと音楽で綴った物語「ピーターと狼」(CD有り)(1936年)をロック調にアレンジし、オリジナルの曲を加えたアルバム"Peter and The Wolf" にナレーターとして出演。

4月9日(水)  BBC2の "One Man's Week" に出演。スタンシャルの一週間の生活模様を追った三十分のドキュメンタリー番組で自転車に乗ってロンドンの町中を走る姿や BBC Radio 4の "Today Programme" に出演している様子やレコード屋で買い物する姿などが放映された。

10月27日(月) ジョン・ピールラジオ番組でローリンスン・エンドが放送される。(以下でてくる「ラジオ」とは特に題名などが無い限りジョン・ピールのラジオ番組を指す)

12月22〜24、26日(月〜水、金)  4日間にわたってローリンスン・エンドのクリスマススペシャルのエピソードがラジオで放送される放送される。

1976年 

EP 、"The Young Ones/ Are You Havin' Any Fun?/ Question"を発表。

'73年に発売されたマイク・オールドフィールドの "Tubular Bells" からカットされたスタンシャルの語りが入ったロングバージョンの "Sailor's Hornpipe"の入ったオールドフィールドのベスト版 "Boxed" が発売。

1977年

5月23日(月)  ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。

12月19日(月)   ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。

アメリカ人のKi (Pamela) Longfellow-Stanshall(以下ロングフェロー)と再婚。 同年 船(WWI Submarine Chaser)を購入。テムズ川に停留し、船上で暮らす。 "Rawlinson End""Teddy Boys Don't Knit"はこの船の中で創られた。(この船が沈没した後 ロングフェローがBaltic Trader (全長約55m, 船幅約9m) を購入し、ブリストルに停留した。)   

スタンシャルの作詞した "Vacant Chair(邦題・空っぽの椅子)" が収録されているスティーブ・ウィンウッドのアルバム "Steve Winwood" が発売。

1978年

4月5日(水) ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。  

7月25日(火) ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。  

アルバム "Sir Henry At Rawlinson End" (CD化されている)発表。このアルバムはジョン・ピールのラジオ番組で収録、放送されたものの中からいくつか抜粋し、収録し直したものである。

1979年

12月24日(月) ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。 


Vivian Stanshallその2へIndexへ戻るホーム
注 1945(?),1959(?),1961(?) はっきりとした年が分からなかったので年齢などから推定した。19?? 詳細は不明。調査中。

このシングルは日本では東芝音楽工房より「デタラメ・ロック」の邦題でスタンシャルのソロ名義で発売された。(いつ発売されたかは不明、調査中)"Labio-Dental Fricative"はボンゾズのボックスセット"Cornology"のDisk3"Dog Ends"、「ボンゾの歴史」にも収録されCD化されている(CD店ではこのボックスの中身がばらで売ってる場合が多い)。「ボンゾの歴史」の方にはこのアルバムのためにスタンシャルがリミックスしたものが収録されている。"Paper Round"は未CD化。

Suspicion この曲の半ばにある語り部分"Darling if you love me〜"はスタンシャルの創作だと思う。

キース・ムーン Keith Moon1947-1978 '70年代、スタンシャルはキース・ムーンとラジオに出演したりと公私ともに親しくしていた。二人でナチの制服を着てイースト・エンドに現れたりして(ナチ・ギグと呼ばれるものである)周囲を驚かせたりもした。

2曲ともボンゾズのベストアルバム「ボンゾの歴史」に収録されCD化されている。"Suspicion"はボンゾズの"Let's Make Up Be Friendly"の方にも収録されている。

That'll Be the Day 日本公開は'76年6月 日本ではビデオ等は未発売。

サントラ盤 "Real Leather jacket"のほかにも何曲かスタンシャルの歌が入っているらしい。(詳細は不明)

Baltic Trader 船名は Thekla 。住居兼 The Old Profanity Showboatの名で劇場としても使用。いつ頃購入したかは不明。 *多分'80年以降かと思われる。

スティーブ・ウィンウッド  Steve Winwood 元Trafficのメンバー。 '77年からソロとして活躍。"Men Opening Umbrellas Ahead"にオルガンとベースで参加。シングル"Lakonga/Baba Tunda"、 "Sir Hery at Rawlinson End"にも参加した。スタンシャルは彼のためにVacant Chair"、"Arc Of A Diver"、"My Love's Leavin'"の3曲を作詞をした。これらはポリスターから発売されたウィンウッドのベスト版"CHRONICLE"(CD有り)に全て収録されている。レコードコレクターズ'95年11月号によるとこれらの曲の印税はスタンシャルを経済的に救っていたということである。また"Arc Of Diver" の歌詞について、ウィンウッドはスタンシャルが妻(ロングフェロー)のことを書いたものだと述べている。

ジム・キャパルディ 元Trafficのドラマー。 "Men Opening Umbrellas Ahead"にもドラムで参加している。)

ジョン・ピールのラジオ番組 何という題の番組かよく分からない。とにかく、BBC Radio1にジョン・ピールの番組があり、"Rawlinson End"はその番組内でラジオドラマ化して人気を博した。上記の通りたびたび収録されては番組内で放送されていた。ジョン・ピールのラジオ番組については現在調査中。

ジョン・ピール '60年代後半から活躍する今も現役のラジオの人気DJ。


このページの原稿はNIが担当しました。フィードバックはNI[niアットマークpop17.odn.ne.jp]でお待ちしています。もちろん当サイトの責任者:かぜ[kaze-kアットマークbc4.so-net.ne.jp]宛のメールでも歓迎しています。

Vivian Stanshallその2へIndexへ戻る