February 2001 

来日の可能性  

5年程前(95年ごろか)、彼の来日の噂が流れた。GRIMMS/ROCKIN’ DUCKのCD日本盤の解説に「まもなく初来日をはたすニール・イネス…」との記述があることからある程度具体的な話にはなっていたんだと思う。またこの文章のお陰で今回が初来日だということを不思議がる人もいるようだ。結局彼は来なかったし、またその時期に惜しくも旅立たれてしまったヴィヴィアン・スタンシャルも一緒に来るはずだったという話もどこそこで聞いた。その後すぐラトルズが復活しニールは元気なところを見せてくれたが、我々日本のファンにとってはなんとも寂しい事件だった。

ちょうど1年半位前の話だが僕はニール・イネス・メーリング・リスト(英語版)で彼が日本へ来る可能性について発言してみた。おりしも英国本国で彼はトゥアーを始めたばかりでリストメンバー皆が自分の国アメリカやカナダへ来る可能性について話していたところだったからだ。もちろん本気で実現できるなどと考えてもいなかったのだが彼のファン・クラブの代表であるルイーズさんからメールがきて「本当に真剣に考えているのなら…」ということで彼のマネージメント・オフィスの住所を知らせてきてくれたのだ。おーなんと言うことだ!このメーリングリストは困っている人にはとても親切なのである。しかしながら僕に彼を呼ぶなんてそんな力はないし、ましてどうすればいいのかなんて皆目見当もつかなかった。唯一思いついた事と言えばいわゆるプロモーターと呼ばれる人とコンタクトを取ることだった。昔とった杵柄とでも言うのだろうか僕はその“いわゆる”という人を何人か心当たりがあったので片っ端から声をかけてみることにした。またプロモーターを知っていそうな人にも話をしてみた。結果は全くの梨のつぶて。外国から公演などでミュージシャンを呼ぶときはヴィザとかギャラとしての外貨持ち出しとか面倒な手続きが多いということが分かったが、同時に素人では手におえる仕事ではないということも分かったのだった。
それでも諦めきれなかった僕はせめて熱意だけでも伝えたいとマネージメント・オフィスに手紙を書いたのだ。読んでくれたところで何もならないという事も分かってはいたけれども何かをせずにはいられなかったのだ。
手紙は3ヵ月後住所移転の為そのまま戻ってきた。

しかし努力は無駄になってはいなかった。声をかけて歩いていたことを覚えていてくれた人がいて、音楽雑誌の「ストレンジ・デイズ」が取材の可能性について僕にコンタクトを取ってきたのである。これは来日はならずとも大きな前進だ! とは言うものの僕自身ニール本人を知るはずもない。こうなったら彼とコンタクトを取れそうな人に事の次第をお話して伝えてもらうしかないだろう。そう思った僕はすぐさまアメリカのニール・サイトをやっているローリーさん、CD再発を計画しているダニー・バーバーさん、そしてファンクラブのルイーズさんと連絡を取り彼に取材のことを伝えてくれないかと頼んでみたところ、彼らは快く引き受けてくれたのだった。皆インターネットで知り合った人たちばかり、本当にインターネット恐るべしである。
そして1週間程して
ニール・イネス本人からメールが来た!!
喜んで取材を受けてくれるとのこと。また勘違いしたのだろう、僕と話すのを楽しみにしてるとも。
どうやらルイーズさんが彼のオフィス宛てに書いた手紙が戻ってしまったことや僕がこんなウェブを作っていることを話してくれたらしい。ご存知のとおり、インタビュー記事も成功し来日スポンサー探しに弾みをつけたのだった。

ニールがやって来た

2000年の9月、とうとうヴィニール・ジャパンニールを招聘した。つ、ついにである。もし可能性があるとしたら彼らじゃないかと思っていたが本当によく呼んでくれた。
しかし来日が発表になる寸前、僕はニールを見るため!?の英国旅行を決めたばかりだった。少し複雑な想いがしたが、いやいやどうしてなにに不満があろう! 英国で2回、東京でも何度か彼のショーを見られるなんてなんという幸福なのだろうか。結局東京は3夜連続公演となり、ここ数年来溜まっていた彼を見たいという欲求を一気に爆発させるには充分過ぎる日程となった。

実は英国ではニールと懇意にすることが出来、個人的な大イベントも彼の助けによって無事行うことが出来た。ラトルズバリー・ウォムことジョン・ハルジーにも会うチャンスを恵まれ、なんと幸福な僕なのだろう。あっ! お願いだから、石投げないでね。
日本での再会を約束し駅で彼と別れた。僕は心の底から彼に受けた親切の数々に感謝し、日本では僕の番だと心に誓った。Neil at リハーサル

2001年1月29日、ついに彼は日本の地を踏んだ。奥様のイヴォンヌさんを連れJAL便にて成田空港に降り立った。
日本での分厚い接待を約束した僕だったが彼は来日翌日よりリハーサルで多忙の毎日。日本では和久井光司氏率いるバンドが彼のバックを務めるのだ。そのため彼は英国では普段やらない曲の練習に大忙し、空いている時間はホテルの部屋でも練習していたらしい。これらの曲は和久井氏からの提案で増やされたものだが、ニール本人も言葉の不安から自国と同じスタイルのショー形式に限界を感じて自ら決断したものだった。リハーサルは2月1日も続けられた。明日は本番だ。バンドはこの2日間で彼との感覚をつかまねばならない。しかしながら、来日早々文句も言わずにハードなリハーサルをこなしていく彼に本物のプロフェッショナルを見た。

箸使いがとても上手なNeilリハーサルスタジオを出た後、バンドの面々と居酒屋で明日からの成功を祈願し酒宴。イネス夫妻は日本式居酒屋は初めてとのことだった。ひたすらビールを飲む英国式パブとは違いこちらは食べながら飲む形式にちょっと違和感か。イヴォンヌさんは掘りごたつ式の席に興味を持った様子。隣にいるモーガン・フィッシャーは日本在住だからして当然として、思いのほかニールは箸の使い方が上手い。結局食べ物はガーリックトーストがいちばんのお気に入りだったようだけど…。実はニール、来日直前に風邪をひいてしまいあまりお酒を飲まないでいた。やはり薬を飲んだときはお酒は良くないからかもしれない。英国人は大酒飲みが多いといったイメージがあるが、あちらで会ったときは彼は赤ワインが好きなようだった。特に緊張している様子もなく、風邪の具合もそんなに悪そうではなかった。友達(Duck)と遊ぶ

体調の不調、それに雑誌のインタビューに多忙でニールが観光した唯一の場所が「小石川後楽園」イヴォンヌさんがガーデニングの先生ということもあって連れて行ったのだが、これが意外と良い場所!? 今の時期は草木に見るものが無いのだけれどもかろうじて梅のつぼみがほころんでいた。もちろんこの日もライブのある日、早々と切り上げてホテルへ戻る。本当は時間があれば日本の伝統料理なども味わってもらいたかったのだけれども、彼自身の目的は仕事での来日、決して観光ではない。彼が素晴らしいショーをやれば日本のファンも喜ぶし、もちろんそれを僕自身もいちばん望んでいるのだ。彼の音楽が好きで、彼の来日を熱望しいろいろ画策してきた僕としてもショーを成功を一番の前提に考えたい。彼は地下鉄の中でも昨晩のショーについて話をしていた。僕の意見も求めてくる。しかし彼の話し振りからは既にここでの自信を持ったことが覗えた。

(続きはNeil Innes In Japan を御覧になってください。)