メール・オーダー

年が明けて96年、当時勤めていた会社の業績が悪くなり暮れのボーナスからまともな支給があやしくなってしまった。もしかすると年明けてから少し貰ったかもしれないが。こういう状況だと蒐集活動に大変影響するのである。もともと「あればありったけ」の浪費家ゆえ、蓄えるということを知らない。レコードを買うことにあまり無茶をしていないつもりだが(ウン万円も使うようなことはないし・・・)、それでもやはり支出は抑えざるえないだろう。

この頃はほとんど海外通販でレコードを買っていた。インターネットが普及した今と違って、この頃の取引方法は少し辛抱がいるものだったかもしれない。まずレコードコレクター誌の広告や、送られてくるリストを見てめぼしい物を見つけたら、オーダーの手紙を書く。そのときにIRC(国際返信用クーポン)を同封しておく。なぜ手紙かというと、電話してしゃべれる自信がなかったからである。その後FAXマシンを購入したので、相手がFAXを持っている場合は手紙の代わりに即FAX。しかしながらその頃の英国のディーラーや個人コレクターでFAXを持っていたのは少数派だった気がする。やがて返事が届き、まだ在庫があるようだったらIMOで送金するか、クレジットカードナンバーを知らせてまたしばし待つのである。
このIMO (International Money Order)というシステムはなかなか優れもので、手数料もわずか1000円でほとんどの国へ送金することが出来る。難点は郵便局の本局でしか扱わなかったことと、英国だとお金が届くまで2週間程度かかったことぐらいか。この手順でレコードを買った場合、最初の手紙(オーダー)から品物が届くまで5週間ぐらいかかっちゃうのである。
その頃は本当にのんびりしていたものです。

しかし、手紙だと相手にオーダーフォームが届くまで時間がかかるため、欲しいレコードが売れてしまっているということが多くなった。特にレコードコレクター誌の「セットセール」の広告だと雑誌の発売日から数日が勝負なので、手紙だとひじょうに不利なのである。
ど、どうしたらいいか・・・・?
相手がFAXを持っている場合は問題ないのだが、電話だけの場合・・・。えーい、こうなったら恥を捨てて電話してしまえ!
「May I speak to ・・・」 「・・・ Pardon?」 ・・・そんなことではへこたれない・・・。
なんとも怖い物知らずの僕だった。

ボンゾCD!

この年は前年に続いてCDもリリースされる。
英EMIの「Four Original」というシリーズからボンゾズの4枚のアルバムがボックスセットで登場。ペイパー・スリーブ仕様(紙ジャケ)のカバー、1st、2ndのブックレットをミニチュア化した物が入ってなかなかの出来。ちょっと残念だったのは、「Doughnut〜」のカバーはゲートフォールド(Wジャケ)を再現していたのに、「Keynsham」はシングル、「Tadpoles」はダイカット(穴あき)ではなかったのは仕方がないか。
ボンゾズの国内盤CDはMSIよりONEWAYのリイシュー物が出ているが(いずれもUS編集)、音源的にはこの「Four Original」「Cornology」のふたつのCDセットでもうたくさんである。ただ国内盤に付いているマシュー・ズカマン氏の解説は読みたかったが。
ただし期待されたイネスの他のアルバムのCD化はされなかった。う〜む、第2弾はいつのことか・・・。

そんなわけでボンゾズの公式音源、それにイネスについてもシングルで発表された曲を除いてほぼ手に入れたのだが。ボンゾズに関してはほとんどCDというのがヴィニール・ジャンキーとしては納得いかないのである。「Gorilla」「Doughnut〜」はブックレット付きというのがネックになっているし(“無し”なら数ポンドで出てくるのに・・・)、「Tadpoles」も出ない、オリジナルアルバムが見つからないのでベスト物にも手を出せない。イネス「How Sweet To Be An Idiot」もCDで聴けるもののアナログは未入手。
もう完全に行き詰まってしまった。

英国旅行

会社の事情が厳しくなり、自分なりの選択を迫られた。結果、96年いっぱいで退職の道を選ぶこととなり、新たな人生を歩まねばならなくなった。しかしそんな厳しい現実を考えたくなかったのか、一人でイギリスへ行くことを決めてしまった。
それまでの仕事は盆暮れ正月ゴールデンウィークは出勤という状況だったので、旅行をするなんてことは皆無だったのである。予算は微々たる貯金があるだけ、英語はほとんどしゃべれないし大丈夫だろうか。
とりあえずやりたい事、行きたい所だけはたくさんある。本場のフットボール観戦、リバプールの巡礼、懇意にしているディーラーやコレクターともこの機会に会いたいし、もちろん英国盤はゴッソリあるのだ。
後先のことは何も考えていなかった。ただ、その地に“行ける”という期待だけがどんどん膨らんでいったのです。

(つづく)